一 同年2月。二本松篭城に居り候、三輪玄蕃・氏家新兵衛・遊佐丹波・同下総・堀江越中、5人の者ども相談つかまつり候。政宗公へ申し上げ候は
「御奉公をつかまつり、城を取らせ申すべく申し候間、玄蕃屋敷へ御人数入れられ候、地形もよく候条、御人数を差しこされるべき」
よし申し上げ候て、右の5人、人質を上げ候。御人数を夜中に差し越され候。4人の居り候ところは城にて、抱えられるべきところこれなく候につき、玄蕃屋敷へ引き除き候ところ、その近所候者ども、玄蕃屋敷へばかり入り、人多く鉄砲取りまわすべき様これなく詰まり候。また栗が柵と申すところ、手替りつかまつり候はば、急にこれなく候とも、落城はかり難く候えども、栗が柵は堅固に持ち候間、玄蕃屋敷は本城と栗が柵の間にて候間、抱えかね、明け方に城中より玄蕃屋敷攻め候間、引き除き候小口詰まり、大勢本口ばかり、まかりならず候て塀を破り、嶮難のところより人々重なり頽落ち、男女40-50人ばかり踏み殺され、城中は堅固にあい抱え候。