一 黒川月舟逆意の底意は、月舟に伯父に候黒川式部と申し候者、輝宗公御代に御奉公申し上げられ候。飯坂城主・右近太輔と申す者の息女、契約候て、名代を相渡され候よし申し合わされ候えども、息女10ばかりの時分は式部年入り候て、その外の隠居も早これあるべく候。政宗公御めかけにも上げ候て、腹に御子もでき、名代に相立て候様に申し上げ候はば、家中のためによくこれあるべきのよし、思案いたし違変申され候につき、黒川式部迷惑に存じ候。月舟所へも参越さず、後引切り申し候。この御恨み、また月舟は大崎義隆御為継父に候。義隆御舎弟に義康を月舟の名代続にと申され、伊達元安の婿にいたされ候間、月舟手前に差し置かれ候間、義隆滅亡に候はば以来は、その身の身上を大事に存じ、逆心を企つよしあい見え候。
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