一、上野介・浜田伊豆の人数を……

一、上野介・浜田伊豆の人数を引きつけたく存ぜられ候えども、はや日は暮れ候。川を越え、北に備え候間、桑折師山より出候はば、除けかねるべきよし存ぜられ、月舟へ上野より使者をもって申され候は、
「ここもとは引き除きたく存じ候。異議無く御除かしめ預かり候え」
と申され候ところ、月舟挨拶には、
「もっとも、貴殿御一人引き除かれるべく候。そのほかはまかりなるまじく候」
よし申され候。重ねて上野申され候は、
「浜田伊豆を始めとして、一両輩同備の衆ござ候をあい捨て、拙者一人如何してまかり除かるるべく候や。とても我らをあい通さるべく候はば、かの方へもあい除けられ預かるべく候。左様にまかりなるまじくは、討死にあいきわまり候」
よし申され候。さ候えば八森相模と申し候、月舟の伯父にて候が申し候は、
「上野殿を始めとし打ち果たし、弓矢の実否あい付けしかるべく候。大崎は洞(うつろ)まちまちに候。政宗公大身にてござ候間、果たして月舟の身上、あい立てるべき儀にもこれなく候。つかまつるべき事を控え滅亡詮なし」
のよし、しきりに異見申し候えども、月舟さすが婿打ち果たし候こといたわしく存ぜられ、
「さように候はば、その譯にあい備えらる衆も、いずれも上野同心にあい除けらるるべき」
よし、申され候につき、松山へ引除かれ候ところ、中新田へ働きの衆中切候て、橋を引かれ候ゆえ、思いのほかに新沼へ籠城いたされ候。

「成実記 目次」

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