一、百々の鈴木伊賀……

一、百々の鈴木伊賀・古川の北江左馬亮、中途へまかり出で、新沼へ使いを越し、大谷賀沢呼び出し、申し候は、
「泉田安芸・深谷月鑑両人、質に相渡され候はば、諸軍勢は引き除けなるべし」
よし、申し候。大谷賀沢引っ込み、そのよし申し候ところ、泉田安芸家中湯村源左衛門と申す者申すは、
「中々に多勢切って出で、討死は覚悟の前に候。諸軍勢を除けなされ候て、安芸一人末に生き縛り、首を切られ申すべく候間、死後はてはて恥辱にまかりなり候条、安芸合点申されまじき」
よし申し候。月鑑申され候は
「我等両人証人に渡り、諸軍勢相助け申す事は、政宗公までご奉公にまかりなり候間、是非証人に渡り申すべく候。安芸殿何と思し召し候」
と申し候。また源左衛門申し候は、
「貴殿のご心中とくに推量申す」
のよしにて口論つかまつり候ところ、安芸申され候は、
「源左衛門申す事無用に候。我等は人にも構い申さず、一人にても人質にあい渡るべき」
よし申され候。両人とも2月23日に新沼を出て、蟻ヶ袋と申すところ、へ参られ候間、諸勢松山へ引き除け候。浜田伊豆・小成田惣左衛門・山岸修理、米沢へ伺候いたし、大崎弓矢の様子を申し候いて、御意は、今度あまり深く働きつかまつり、越度を取りり候。重ねては氏家弾正に仰せ合わされ、桑折師山2ヶ所の城を取りなされ、弾正にこれを相加え候ようになさるべし、との御意候。

「成実記 目次」

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