一、最上より義顕(義光)、野辺沢能登と申す衆を蟻ヶ袋へ差し越され、能登、長井月鑑へ会い候いて、何を談合申され候や、月鑑は深谷へ帰り、泉田安芸一人小野田へ同心申され候。小野田の城主玄蕃・九郎左衛門両人に、安芸を渡し申され、その夜、能登、安芸宿へまかり越し、申され候は
「貴殿引き取り申す事は、会津・相馬・佐竹・岩城申し合わされ、伊達殿へ弓矢を取り申すべきよし、相談に候て、相馬より使者として、とちくぼ又右衛門と申す者差し越され候。貴殿御よしみの衆仰せ合わされ、逆心をなさるべき」
よし申され、安芸申すことには、
「我らは主君の奉公に一命を相捨て、新沼に籠もり候。諸軍勢を相扶け申し候。御弓矢の儀は存ぜず候。我ら首早々召し取られ下さる様に頼み入る」
のよし申し候えば、能登申され候は、
「安芸右の申す体、比類無き儀に候」
よし、褒美申され候。安芸存じ候は
「この様子政宗公へ知らせ申したき」
よしにて、斎藤孫右衛門と申す者、忍び使に米沢へ上げ、右の段つぶさに申し上げ候。