一、相馬義胤、築山に御坐候て、……

一、相馬義胤、築山に御坐候て、そのうちに田村の衆申し合わされ、右より御北様へ御内談と相見え候。5月11日、義胤より御使のよし申し候て、相馬家老に候、新舘山城・中村助右衛門と申す者、三春へ参り、その夜は町に留め候。いずれも下々において申し唱え候は、伊達衆をも相馬衆をも三春へ入れ申すまじきよし申され、完両人の衆参られ候はば、明日義胤御見舞いの様に御出、城を御取りなされ候よし、下々申しまわり候。さ候えども、12日早天に山城・助右衛門両人城へまかり帰り候。橋本刑部は切腹と存じ詰め、未明に参り三人ともに奥方へ伺候いたし、御酒を※え居り申し候。刑部方の者、5人3人ずつ、鉄砲・弓・鑓・武具持ち候て、城に入り候。月斎・梅雪・右衛門は参らず候。山城・助右衛門も50人ばかり城へ参り候えども、道具は持たせ申さず候。相馬義胤御出候よし申し候について、内へ入り候者ども方に役所著候様に居り候。梅雪その時城へ登られ候。奥方より刑部まかり出で早く義胤は城下まで召し懸け候。宵より大越連れ候人数、城東の林の内、深谷に、7-800ほど鉄砲弓鑓にて引きつけ置き候。しか一 相馬義胤、築山に御坐候て、るところに刑部・梅雪の手を兼ねて伊達衆をも入れ申すまじきよし、仰せあわされ、義胤を入れ申すべきこれありや、と申し候えども、梅雪、いやいや入れ申すまじきよし、申され候。兼ねて梅雪も御見廻のように、御出馬なされ候城を取らせ申すべきよしに申し合わせ候えども、刑部大功の者に候間、入れ申すべきよし申し候ば、即ち打ち取らるべしと存じ、入れ申すまじきのよし申し候と相見え候。刑部はいいつけて具足を著し申し候。いずれも城へ入り候者、武具を持ち、義胤入れ申すまじきよし申され候。鉄砲打ち候へと申すについて、義胤城半分ほど召し上げ候えども、鉄砲を打ち、弓を射、妨げ候間、義胤御供の衆30騎ばかり召連れ候えども、いずれも袴がけに候間、何事もまかりならず、殊に義胤の馬のひら首へ鉄砲あたり、それより召し回り東の小口へ御出候えども、かの口もその通り、そのうえ地形悪しく候ゆえ、ならぬ跡に、馬上200騎余武具にて、弓・鉄砲坏も召連れられ候えども、遅く候て用立たず、築山にも御帰りなく、直に相馬へ引き除かれ候。大越紀伊まかり出で、
「御立ち寄られ候え」
と申し候えども、御寄りなく御帰り候。新舘山城・中村助右衛門、城中にて討たるるべきかと存じ候て申し候は、かように御色立ちあるべき儀にこれなく候。さように候はば、義胤御出で無用のよし申すべしとて、足早に出候ところを、刑部の者ども鎗を突きかけ候えども、刑部無用の儀と制止、早々御参り御出、無用のよし御申し上げらるべきとて押し出し、城は堅固に持ち候。田村より白石若狭ところへその様子申し来たり候間、早馬をもって大森へ申し上げられ候條、夜の五時過ぎに相聞こえ、即ち政宗公御早打ちなされ、白石若狭居城宮森へ翌日の五時分に召し付けられ、伊達・信夫の人数をもって、築山へ両日御働きなされ候。田村に人数入れ候儀、計り難きよし御意にて、我ら十二日に白石へ早打ちつかまつり候まま差し置かれ候て、両日の御供つかまつらず候。16日に小手森へ御働きなされ候間、参るべきよし仰せくだされ候條、小手森へ参り候ところを召しまわり御覧なされ、御攻めなさるべく仰せつけられ、我らは築山より助けの押えに差し置かれ、そのほかの御人数御旗本衆まで相出られ、御攻めなされ候間、落城つかまつり悉く放火いたし候。今度は撫で切りにはこれなく、取り散しに仰せつけられ、宮森へ打ち通られ、翌日は田村のうち大蔵と申し候城、田村右衛門弟・彦七郎と申す衆居り申し候。心変わりの衆数多候えども手切れ申さず候。この彦七郎は築山も節々三春にとりなし候につき、御越しの御供もつかまつり候について、彦七郎城へ御働きなされ候。小口掛りをなされ、町を引き除け候から、家ども10ばかり払いなされ候えども、内より一騎一人も罷り出でず、脇より助けの衆もこれ無く候條、卜雲と申し候田村の出家へ、前廉申し入れられ候御働きのところへ参られ、かの出家をもって月斎を頼み入り、御詫言申され召し出されるべきに落居申し候えども、日暮れ候間、宮森へ相回られ候。惣御人数はにしと申すところに野陣をつかまつり候。次の日は石澤に相馬衆之籠り、御働きなさるべき候よし、仰せ出され候えども、田村彦九郎罷り出られ候こと遅く候間、大蔵の道津かひ惣手備を立て、大蔵罷り出ず候は御責めなさるべきよし、仰せつけらるところに、彦七郎罷り出られ候お目見え申し、石澤への御先懸け仰せつけられ候。石澤は田村の内にて小地に候えども、城能く見え申し候。相馬の衆をもって相抱え候間、人数も多く見え候ゆえ、近陣なさるべきよしにて、その夜は西と申す城、白石若狭抱えの地に小口に御在馬なさるべきよし、仰せつけられ候えども、しかるべき家もこれなく候について、にわかに東の山に御野陣なされ候。おりふし大雷つかまつり、野陣の衆迷惑申し、しかるところに筑山に火の手見え候。大雷に候えども、物見を遣わされ候えば、筑山引き除け候て一人もおらず候よし、申し上げ候ついて、石澤も引き除くべとの思し召し、御人数を遣わされ候ところ、人数参らず候。先に引き除く石川弾正親おり候。とらめきも弾正抱えの地残りなく落城。田村内二カ所相極められ宮森へ打ち返し御出馬なされ候。

「成実記 目次」

Page Top