伊達政宗の花押は用途・時代で区別できることで有名ですが、成実の花押にもいくつかのバリエーションが知られています。
以上を紹介します。また花押の種別についてはせいどう様からもご教示をいただきました。厚くお礼を申し上げます。
この図はやまびこ様からいただいた図版をデジタル化したものである。やまびこ様によると、A・B各花押の使い分けは以下の通り。いずれも亘理城主期のもの。
町作りの指示書(伊達市教育員会蔵/ 新人物往来社「伊達政宗グラフティー」図版104に収載)
牛坂杢助宛書状(亘理町中央公民館蔵/ 仙台市博物館図録「伊達政宗と家臣たち」図版151に収載)
志賀備後宛書状(志賀道義氏蔵 志賀家には6点の成実書状が残されているという)
黒野覚兵衛宛書状(郷土わたり 収載)
宛先不明書状(伊達市教育員会蔵/ 新人物往来社「伊達政宗グラフティー」図版105に収載)
伊達成実人数覚書
大條兵庫宛書状 (仙台古名家真蹟書画)
あえてまとめるならば、A型が家中用の洞判、B型が公式花押、ということになろうか。
「千秋文庫所蔵佐竹古文書」P348の図版より部分引用 。
実元存命中、若いころの花押。上のA型・B型とはかなり異なるが、時代によるものなのか、また別の使い分けがあるのか否かについては不明である。
「伊達氏重臣遠藤家文書・中島家文書 ~戦国編~」(白石市教育委員会刊)遠藤家文書17(E4-26)の図版から加工転載。
これも今のところ、この一例のみ。天正13年人取り橋合戦直前のもの。(図録は天正17年とする)