天正13年10月8日
伊達輝宗が宮森城で、畠山義継に拉致され、粟の巣(二本松市平石高田)で二人とも死没した事件。
天正13年の対大内定綱戦で、小手森城を落した伊達政宗は、塩松を順調に平定していった。こらえきれなくなった大内定綱は、本城である小浜城を捨て、縁戚である畠山義継の二本松城に逃れ、さらに会津を頼る。
政宗が空城になった小浜城(下館)に入ると、隠居していた伊達輝宗も宮森城(上館)に入った。
大内定綱と同盟を結んでいた畠山義継は、伊達家に降伏を申し入れたが断られ、何度かの嘆願の末受け入れられる。
天正13年10月8日、畠山義継は御礼として、輝宗陣所宮森城を訪問した。御礼の儀式はつつがなく終わり、辞去の挨拶の時、義継は輝宗を突如として拉致する。この時、政宗は鷹狩に出ていて不在であった。
御礼の席には伊達成実・留守政景も同席していたが、急事になすすべもなく、輝宗は二本松目指して連れ去られてゆく。
宮森城から田舎道で10里余の粟の巣まで進んだところで、伊達勢が畠山勢に討ちかかり、輝宗・義継ともに落命した。
大河ドラマ「独眼竜政宗」では、阿武隈川の河原で政宗が義継・輝宗に追いつき、葛藤の末、涙ながらに鉄砲発射の命を下す場面が見どころとなっているが、粟の巣古戦場の比定場所からは川は見えない。
この時、急を聞いた政宗が義継・輝宗に追いついたか、また鉄砲の発射を命じたかは定かではないが、多くの創作作品では、大河ドラマ同様のシーン設けている。その中で異彩を放つものとしては、以下のものがある。