成実三昧
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伊達成実 年表
1539(天文8)
秋諸国蝗あり実らず。仙台凶作。大飢饉。(
宮城県災害年表
)
11/18 大地震(
宮城県災害年表
)
1540(天文9)
8/11 大風(
宮城県災害年表
)
秋諸国蝗あり実らず。仙台凶作。大飢饉。(
宮城県災害年表
)
1541(天文10)
8/11 大風(
宮城県災害年表
)
1557(弘治3)
8/14 夜大風雨(
宮城県災害年表
)
8/24 洪水(
宮城県災害年表
)
大凶作・大飢饉(
宮城県災害年表
)
1558(永禄元)
飢饉(
宮城県災害年表
)
1561(永禄4)
疫病流行。永禄3年8月~永禄4年5月。(
宮城県災害年表
)
1564(永禄7)
凶作(
宮城県災害年表
)
1565(永禄8)
この年 輝宗家督(治家記録)
この年 飢饉(
宮城県災害年表
)
6/19 稙宗死去 78歳
1566(永禄9)
1/10 芦名盛氏より誓書到来(治家記録)
1567(永禄10)
2/11 稙宗正室芦名氏死去(治家記録)
3/7 留守政景家督(治家記録)
8/3 政宗誕生(治家記録)
1568(永禄11)
この年 成実誕生(世臣家譜)、於大森城(常盤定牽文書)
1570(元亀1)
4/4 中野宗時・牧野久仲・新田義直謀反(治家記録)
9/上旬 中野・牧野、晴宗・実元を通じ帰参を乞う、許されず(治家記録)
1571(元亀2)
この年 相馬との合戦の功により、亘理元宗、竹雀紋を賜う(治家記録)
1572(元亀3)
7/7 虎哉、資福寺に入る(治家記録)
1573(天正1)
足利幕府滅亡
12/28 織田信長、輝宗に書状を出す。織田家と誼を通じる最初の文献(大日本古文書 伊達家文書291)
この年、玄松院誕生(涌谷伊達文書11)
1574(天正2)
2/21 昨年暮れの信長書状が届く(性山公治家記録)
4/3 実元、八丁目城を降す(性山公治家記録)
1575(天正3)
閏1/24 大地震(
宮城県災害年表
)
秋 輝宗、信長に馬と鷹を送る
1577(天正5)
11/15 政宗元服(治家記録)。成実が太刀持ちを勤める。(伊達秘鑑)
1579(天正7)
この年凶作(
宮城県災害年表
)
6/17-6/26 大雨。登米・佐沼・鱒渕・百々・涌谷で洪水のため人馬使者多し(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
この年 成実元服於大森城。烏帽子親は輝宗(常盤定牽文書)
1582(天正10)
6/2 本能寺の変
1584(天正12)
10/6 葦名盛隆、黒川城にて寵臣に殺さる
10月 政宗家督(成実記)
10月 成実、天流免許状を得る(伊達政宗伝授書群 B-16,B-26)
この年 成実家督。実元、八丁目城に隠居。
大内定綱、帰服。米沢にて越年。(成実記)
1585(天正13)
1月 大内定綱、小浜へ帰る。(成実記)
5/2 原田左馬助、猿倉越を経て柴野弾正方へ。(成実記)
5/3 政宗、檜原出陣。(成実記)
5/8 政宗、大塩城攻撃。成実、大森出発。(成実記)
5/9 成実、檜原着陣。猪苗代へ調略の書状を出し、その日のうちに大森帰途へ。晩は綱木泊か?(治家記録)
5/12 原田左馬助、猿倉越を経て柴野弾正方へ。(会津四家合考)
5/13 政宗、檜原出陣。(会津四家合考)
5/13 猪苗代よりの返信、政宗陣所へ到着。政宗、大森の成実へ嶺式部・七宮伯耆を遣わす。両使・大森へ逗留(治家記録)
この後 成実、三蔵軒を土湯経由で猪苗代へ遣わす(治家記録)
5/14 本吉郡戸倉村に津波。 (
宮城県災害年表
)
6/8 成実、猪苗代盛国に
返信
す(仙台武鑑)。
6/11 猪苗代より
返信
あり(仙台武鑑)。
この後、政宗、猪苗代の条件をのみ、両使をへて成実に遣わす。両使・檜原へ帰る(治家記録)。
6/28 檜原撤退。後藤信康檜原在番(治家記録)
7月 秀吉、関白就任
7/上 成実、大内退治を政宗に進言。青木修理への工作開始(治家記録)(成実記)
7/2 秀吉、遠藤基信宛文書を発給(斎藤報恩会文書)
8/5 青木修理、大内家老の息子を刈松田へ招来す。(成実記)
8/6 青木修理・大内家老の息子、狩をする。夜半、修理、大内家老の息子を捕らえる(成実記)
閏8/7 成実、青木修理の大内手切れを政宗に注進す。政宗、小梁川盛宗・白石宗実・原田宗時・浜田景隆を刈松田近所に、成実を立子山に在陣せしむ(治家記録)
閏8/12 政宗、米沢出馬、杉目着陣。成実、青木修理と使者を杉目へ遣わす(治家記録)(成実記)
閏8/17 政宗、川俣に移動。蕨平にて田村清顕と対面(治家記録)
閏8/23 大雨のため、小手森攻城中止(治家記録)(成実記)
閏8/24 小手森城の合戦開始。(治家記録)(成実記)
閏8/25 小手森城を攻撃(成実記)
閏8/26 成実、談合にて陣の移動を主張。(治家記録)(成実記)
閏8/27 朝、成実政宗に無断で陣を移動。小手森落城。(治家記録)
閏8/29 未明、政宗、樵山へ移動を発す。成実、陣場を取るため、家士を先行さす。築館自落の報あり。成実築館に乗入り、政宗にこの旨言上す。政宗、築館に休息(治家記録)
9/22 政宗、築館出馬、黒籠へ。成実・宗実・小十郎・桜田元親は残留す(治家記録)(成実記)
9/23 政宗、黒籠で休息す(成実記)
9/24 政宗、黒籠より「からはの内」攻撃(
成実記
)。成らと共に築館より小瀬川へ働く。(片倉代々記・治家記録)(成実記)
9/25 政宗、岩角攻撃、黒籠へ帰る(成実記)。夜、小浜自落。(治家記録)(成実記)
10/6 畠山義継、輝宗陣所宮森にて降を乞う。輝宗、夜政宗陣所小浜へ。成実、談合に加わり、義継の意を奏す。(治家記録)(成実記)
10/7 義継、成実を通して輝宗への謁見を乞う。輝宗、成実陣所にて義継と対面す(治家記録)(成実記)
10/8 成実、宮森の輝宗に義継の御礼言上を取次ぎ、対面に同席す。義継、輝宗を捕らえ、高田原に生害す。(治家記録)夜、政宗高田へ出馬。本宮・玉ノ井・渋川自落(成実記)。
10/9 未明、政宗小浜に帰る。夜 輝宗遺骸、小浜に入る(治家記録)(成実記)
10/15 政宗、二本松を攻む。成実、伊芳田に陣し、城兵と戦う(治家記録)夜半より大風(成実記)
10/16 終日雪(成実記)
10/17 終日雪(成実記)
10/18 終日雪(成実記)
10/21 大雪のため、二本松攻め中止。兵を返す(治家記録)
11/10頃 仙道諸将、須賀川出馬(成実記)
11/10~ 成実、渋川より岩角へ。談合に参加後、夜に糠沢へ移動。(治家記録)
11/16 仙道諸将、前田沢南の原に野陣(成実記)
11/17 人取橋の合戦。政宗、岩角へ帰る。成実、政宗より
感状
を給う(治家記録)。(
成実記
)(政宗記)
11/18 成実、未明に本宮へ移動。敵の撤退を確認し、岩角の政宗に注進す。(成実記) 政宗、本宮へ出馬、論功行賞あり(治家記録)
11/19 政宗、岩角在陣(成実記)
11/20 政宗、岩角在陣(成実記)
11/21 政宗、小浜に帰り、越年。(成実記)
12/11
戌刻、渋川城火災。成実、右手火傷
(政宗記)
この年、大飢饉(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1586(天正14)
1/1
渋川の合戦
(治家記録)(
成実記
)(
政宗記
)
1/2 成実、政宗に首を送る。(政宗記&
政宗文書補135?
)
1/4 政宗、成実に
書状?
。刀と小袖を進じる。南方の義。(政宗文書補遺)
2月 蓑輪玄蕃、政宗に内通するも城方に鎮圧される。(成実記)
この間 政宗体調不良(成実記)
4月 政宗、二本松城を攻撃す。(成実記)
4/19 秀吉、佐竹義重に葦名と伊達の無事を指示する文書を発給(上杉家文書835)
7/5 相馬の仲立ちにて二本松和議なる。実元・亘理元宗・白石宗実も仲介者となる(治家記録)
7/16 二本松落居。成実、城を受取り本丸に仮屋を建てて城番をす。(片倉代々記)(治家記録)(成実記)
7/下 山上道牛、秀吉の「無事」の意向を奥州に伝える(奥羽仕置を豊臣政権p42)
8/12 片倉景綱、二本松を賜う。(治家記録)
9/13 成実、二本松へ転封。片倉景綱、大森へ。(治家記録)
10/27 徳川家康、大坂城で秀吉に謁見、臣従を表明。
11月 葦名亀若丸没。
12/15 政宗、実元に
書状
。相馬・田村と惣和について、成実の婚姻について。(政宗文書)
12月? 成実、亘理重宗女と婚姻。(治家記録)
1587(天正15)
1/4 政宗、成実に
書状?
。刀と小袖を進じる。南方の義。(政宗文書補遺)
3月 佐竹義重次男・白川義広、葦名家を相続。
4/7 政宗、病床の実元を見舞う。(治家記録)
4/16 実元没。(治家記録)
5/1 小梁川宗重、成実の使として政宗のもとへ(治家記録)
5/9 政宗、成実に
書状
。二本松境目の心得について。(政宗文書)
5/10 仙台で大地震(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
7/11 成実領・苗代田、攻撃さる。成実、対応について政宗に書状を出す(治家記録)
7/13 政宗、苗代田の件について成実に
返書
(治家記録)
9/10 この頃、秀吉九州征伐成功の報が伝わる。伯蔵軒・道蝸斎、秀吉への死者として米沢を出発(天正日記)
9/24 政宗、成実に
返書
。苗代田の件、本宮普請の件、田村の件(治家記録)
9/29 政宗、成実に
返書
。大内の件、田村の件。(政宗文書)
10/14 政宗、成実に鮎貝自落を
報告
。(政宗文書)
10月 最上義光、庄内を攻略。
11/19 政宗、成実に
書状
。国分のことに付、杉目の件。(政宗文書)
12/3 秀吉、「惣無事」の直書を発給(伊達家文書986)
12/10 政宗、成実に
返書
。安子ヶ島の件(治家記録)
12/中 成実、遠藤駿河を政宗の元に遣わす。政宗、田村の件について遠藤駿河に指示(治家記録)
この年 大内定綱、成実・景綱を通じて投降の意を表す。(治家記録)
1588(天正16)
1/7 政宗、成実に
書状
。南筋の件。遠藤・羽田を来させるように。(政宗文書)
1/15 羽田右馬助、政宗の数寄に出席。(伊達天正日記)(治家記録)
1/17 成実家中、鷹屋にて政宗より御酒を賜う。うち5人は服も賜う。(伊達天正日記)(治家記録)
2/12 丑刻、大内定綱、苗代田を攻撃し、本内主水を討つ(治家記録・政宗記・成実記)
この間 片平親綱の仕官を条件に大内を許すこと、本内主水親類他より成実に訴えあり。成実同意す。成実・小十郎・高野壱岐、内談の上政宗に言上。政宗も同意す。成実かたへ大内より知行所望の書きつけ来る(治家記録)
2/27 政宗、片平の仕官を条件に大内に知行を遣わす(治家記録)
3/1 伯蔵軒・道蝸斎、帰着。
3/8 亥の刻 政宗、成実に
書
を出す。大崎方面の報告、苗代田の件。(治家記録)
これより前 成実・高倉近江、石川弾正に叛意あること政宗に注進す。
3/12 政宗、小十郎に書簡にて指示。石川弾正の件。成実と談合し探ること。(治家記録)
3/12-13~ 成実領地玉井に敵より草調儀あり(治家記録)(政宗記)
3/21 政宗、高野壱岐を成実のもとへ遣わす(治家記録)
3/22晩 今晩玉井へ草調儀ありと成実のもとに諜報あり。成実出馬す(治家記録)
3/23 早旦に至るも敵影見えず。成実、引き上げる。昼頃、敵攻撃あり。玉井草調儀。
これより前 成実・小十郎、大内及び片平の進退について調整す(治家記録)
4/1 政宗、成実・景綱の請合により、大内定綱に60貫文の知行を与える。(治家記録)
4/3 景綱、二本松へ。成実とともに大内定綱の出仕を待つ。
4/5 夜、備前甥・鍛冶内弾正、景綱宿所へ先触れ。大内定綱を迎えるべく、成実・景綱、本宮へ。(政宗記)
4/6 成実・景綱、大内に対面。片平親綱の手切が不首尾であったため、成実・景綱・宗実、安子ヶ島を攻撃。敵は不応。(片倉代々記)(治家記録)
4/7 成実・景綱・白石宗実、安子ヶ島を攻撃。敵は不応。塩松にて石川弾正謀反。宗実は塩松へ帰る(政宗記)。
成実、政宗に鹿毛の馬を献上。(伊達天正日記)
この間 大内定綱、成実を通じて政宗に目見えを乞う。成実、遠藤駿河を大内に同行させる。(治家記録)
4/8 景綱、高野壱岐とともに大内をお目見えさせる。(治家記録)
4/9 景綱、安子ヶ島より大森へ帰る(政宗記)
4/12 石川弾正、白石宗実領・西へ草調儀。成実、鉄砲の音を聞いて出馬。合戦には間に合わず。宗実、成実を宮森に饗す。(政宗記)。
4/15 白石宗実領へ石川弾正草調儀す。成実、鉄砲の音を聞いて出馬。合戦には間に合わず。宗実、成実を宮森に饗す。(治家記録)
4/18 安積合戦。(治家記録)
5/1 政宗、成実に
書状
。石川弾正の件。(政宗文書)
5/2 石川退治陣触れ(治家記録)
5/6 政宗、成実に
書状
。石川弾正の件。(政宗文書)
5/14 政宗、石川弾正討伐のため、米沢出馬。
5/15 政宗、久保姫に会いに杉目へ。成実も杉目へ。帰りは同道す。成実、政宗に白綾の着物を賜う(伊達天正日記)
5/16 昼 政宗、久保姫に会いに杉目へ。成実も杉目へ。帰りは同道す。成実、政宗に白綾の着物を賜う(治家記録)
5/16 夜半、政宗、成実に食事を進ず。(伊達天正日記)
5/17 成実、政宗の談合に参加。政宗、成実、白石宗実に秘蔵の馬を見せる。(伊達天正日記)
5/17 成実・宗実政宗のもとへ。夜半 成実、政宗に料理を賜う(治家記録)
5/18 成実、評定に参加(治家記録)
5/20 政宗、月館へ。晩、参陣の臣は野陣。(治家記録)
5/22 政宗、小手森城攻撃。夜 成実は用心のため二本松へ帰る(治家記録)
5/23 成実、二本松より小手森へ。雨で攻撃中止のため二本松へ帰る(治家記録)
5/23 玉井へ敵方斥候。成実3人を討ち、政宗のところへ。(伊達天正日記)
5/24 成実、二本松より小手森へ。玉井で草を討ち取った旨報告(治家記録)
5/26 天候不良のため、小手森城攻撃を中止。政宗大森へ。(治家記録)
5/28 成実、大森で政宗と会う。夕食を共にす。羽田右馬助同行。(伊達天正日記)
5/29 成実、政宗のもとへ。晩 政宗、成実を饗す。羽田も相伴(治家記録)
5/30 夜、成実、大森の政宗のもとへ。田村について言上。(片倉代々記) 成実・宗実、政宗のもとへ。田村の件について談合(治家記録)
閏5/1 宮森の宗実より注進あり(治家記録)
閏5/2 成実より宮森無事の注進あり(治家記録) 成実、政宗に飛脚を遣わす。(伊達天正日記)
閏5/5 成実、政宗に飛脚を遣わす。(伊達天正日記)(治家記録)
閏5/11 相馬義胤、築山より三春入城の意思を田村へ遣わす。(政宗記)
閏5/12 田村、相馬義胤の入城を拒否。小浜へ注進。亥刻、白石若狭、その旨大森の政宗に注進。政宗即出馬。(政宗記)
閏5/13 政宗、宮森着。築山攻撃。成実を田村の内、白岩へ遣わす。(政宗記)
閏5/14 政宗、築山攻撃。(政宗記)
閏5/16 政宗、小手森攻撃。成実も参戦し、築山方面の抑えを担当。落城。(政宗記)
閏5/17 政宗、大倉城の田村彦七郎を攻撃、田村より卜雪の交渉あり。政宗、宮森へ戻る。他の人数は「西」という所に野陣。(政宗記)
閏5/18 政宗、田村の石沢へ兵を出す途中、田村彦七郎降伏。「西」に宿使用とするも、家がないため東の山に野陣。夜、雷。築山・石沢・百目木自落。
閏5/25 成実、政宗のもとへ行く。(伊達天正日記)
閏5月 惣無事令伝達の使節・金山宗洗、最上嘉光を訪ねる
6/1 成実、政宗のもとへ。鷺を二羽撃つ(伊達天正日記)。大越攻めの名代を申し付けられる(片倉代々記)。
6/3 成実、政宗のもとへ。振舞を受ける。(伊達天正日記)
6/5 成実、政宗の名代として大越を攻撃。町寺を焼き、二の郭まで攻め取り、宮森へ帰る。(伊達天正日記)
6/11 成実、政宗に飛脚を遣わす。(伊達天正日記)
6/12 成実、政宗のもとへ。(伊達天正日記)
6/14 郡山対陣開始。
6/22 成実、政宗の夕食に相伴。(伊達天正日記)
6/26 成実、朝、政宗の談合に参加。(伊達天正日記)
6/29 晩、成実、政宗の談合に参加。(伊達天正日記)
7/1 窪田砦当番のくじ引き。成実は不参加。景綱、成実との同番を願い出て許される。(片倉代々記)
7/4 窪田砦当番、成実・景綱。合戦。
7/7 窪田砦当番、成実・白石宗実。
7/9 成実、政宗の朝食に相伴。
7/11 窪田砦当番、成実・景綱。景綱本人は他用中。
7/21 窪田陣払い。郡山対陣終了。
7/23 成実、政宗の夕食に相伴。(伊達天正日記)
8/1 成実、政宗のもとへ。左馬助が献上した鮭を食す。(伊達天正日記)
8/3 成実、政宗のもとへ。食事を振舞われる。(伊達天正日記)
8/5 政宗、お東で食事。成実ら相伴。(伊達天正日記)
8/12 昼、政宗お東へ。成実同行す。夜、談合。成実参加す。(伊達天正日記)
8/18 成実、政宗の朝食に相伴。(伊達天正日記)
8/26 成実、政宗のもとへ。(伊達天正日記)
8月 武藤義興・本庄繁長、最上義光から庄内を奪回
9/13 成実、政宗のもとへ。(伊達天正日記)
9月 惣無事令伝達の使節・金山宗洗、政宗を訪ねる
10/22 政宗、成実に
書状
。(政宗文書)
10月 葦名家臣・金上盛備、上洛の途につく。
11/末 葦名家臣・金上盛備、帰国の途につく。
12月 成実、大森にて景綱と、田村の件、大内兄弟の件について会談す。(片倉代々記)
12/5 修験僧元越、上方より帰着。10/5付富田知信書状(伊達家文書391.388)を持ち帰り、秀吉の出仕要請を伝える。
12/20頃 大内定綱、片平へ書状を遣わす。成実も状を添える。片平よりは奉公の由返答あり。(片倉代々記)。
1589(天正17)
1/4 羽田因幡守 政宗に年賀(大日本古文書401号 正月年賀人数書)
1/13 年賀として、雁1・昆布・根深を政宗に献上(仙台市博物館調査研究報告第17号収載 「天正17年正月伊達氏家臣等献上物日記」)
1/24 政宗、成実・小十郎に
書状
。田村の件。(政宗文書)
1/28 晩、成実、政宗の談合に参加。大内兄弟・景綱らも参加。(片倉代々記)
2/20頃 成実のもとへ片平親綱より、対面したき由、飛脚来る。
2月下旬 成実、上記のことを景綱に連絡。景綱、政宗の意を確認し、成実、安積郡堀内にて片平と対面。手切れの相談。(片倉代々記)
3/19 政宗、成実に
書状
。片平の件。(政宗文書)
3/21 政宗、成実に
書状
。田村の件。(政宗文書)
4/25 成実、羽田右馬助を政宗のもとに遣わす。(伊達天正日記)
4/27 成実、片平親綱とともに政宗のもとへ。(伊達天正日記)
4/28 成実、帰る。(伊達天正日記)
5/3 政宗、安子ヶ島を降す。
5/4 政宗、高玉城を降す。
5/14 政宗、成実に
書状
。田村の件。(政宗文書)
5/18 政宗、金山より、成実・景綱を田村に遣わす(片倉代々記)。
5/19 政宗、駒ヶ根城を降す。
この間 成実、景綱と猪苗代調略再開について相談す(片倉代々記)。
5/28 景綱、田村より大森へ帰る。成実は二本松へ帰り、昼、三蔵軒を連れて大森へ。談合に参加。猪苗代調略開始。(片倉代々記)
5/29 成実、政宗の談合に参加。(伊達天正日記)
6/1 三蔵軒大森に帰る。政宗、景綱に、成実とともに猪苗代へ打ち越すよう命ず。成実、二本松を出立、荒井にて泊。(片倉代々記)
6/2 景綱、猪苗代着。成実、安子ヶ島泊。(片倉代々記)
6/3 政宗、安子ヶ島着。
6/4 成実・景綱、摺上原を偵察。政宗、猪苗代へ出馬。(片倉代々記)
6/5 摺上原の合戦
6/11 芦名義広落居。政宗、黒川入城。
6/15 成実、政宗のもとへ(伊達天正日記)
6/16 成実、政宗のもとへ。(伊達天正日記)
7/4 秀吉、上杉景勝・佐竹義重に政宗討伐を命ず。
7月 白川義親、政宗に属す。
9/3 政宗、上郡山仲為を秀吉に遣わす。
10/22 政宗、成実に
書状
。小原田の件。(政宗文書)
10/26 政宗、須賀川を降す。小原田壱岐、成実を頼んで降参す(治家記録)
11/4 石川昭光、政宗に属す。(治家記録)
11/27 岩城常隆、政宗に属す。
12/1 白川義親の乞いにより、政宗、成実の人数を那須境目関和久へ遣わすよう命じる。成実、二本松へ帰る。(片倉代々記)
1590(天正18)
1/7 政宗、成実に
書状
。相馬の件。(政宗文書)
1/20 秀吉、政宗に小田原参陣命令
2/14 政宗、成実に
書状
。相馬、岩城の件。(政宗文書)
4/3 秀吉、小田原城を包囲。
5/9 政宗、黒川出立。成実、黒川留守居(治家記録)。政宗、成実・景綱に密に国のことを付属せしむ。成実に黒川留守居として人数残らず相詰めるよう命ず。(片倉代々記)。
5/17 岩城常隆、成実に
書状
。境目の静謐を依頼す(福島県史7 94長倉文書7)
5/27 田村月斎・橋本刑部、成実に
書状
。石田三成書状の件。(治家記録)
6/5 政宗、小田原着。
この間 岩瀬の降臣、矢田野伊豆、政宗のもとを逐電す。政宗、成実に矢田野を討つよう飛脚を遣わす。(片倉代々記)
6/9 政宗、秀吉に謁見。成実に報告の
書状
6/25 政宗、黒川帰着。
これより前 矢田野伊豆の弟、大里城へ篭城。成実、石川昭光を大里へ遣わす。(片倉代々記)
7/4 政宗、成実他を大里攻めへ遣わす。
7/5 小田原落城。
7/19 大里城、水曲輪まで取る。(片倉代々記)
7月 政宗、黒川より米沢に本城を移す。
8/2 大里攻め中止により、攻兵みな帰陣す。(片倉代々記)
8/12 田村宗顕、成実に
書状
。(引証記)
8/9 秀吉、黒川入城。
8/27 政宗、成実に
書状
。安積・須賀川の去就について。
9/29 政宗、成実の上洛随行志願を断る(
政宗文書762
)
10/16 大崎・葛西一揆勃発。
10/26 政宗、一揆討伐のため、米沢出立。
11/24 佐沼落より木村吉清父子救出。
1591(天正19)
1/1 成実、人質として、蒲生氏郷のいる名生城へ。黒川へ戻る氏郷に同行。
1/5 成実、大森にて氏郷と別れる。
1/19 秀吉、政宗に上洛を命ず。
1/30 政宗、上洛のため、米沢出立。成実、米沢留守居。
5/20 政宗、米沢に帰着。
6/14 政宗、一揆討伐のため、米沢出立。
6/21 政宗、成実ら大崎境黒川に着陣。(片倉代々記)
6/25 宮崎城主、成実を通じて降参を乞う。政宗、これを容れず。成実、早期の佐沼攻城を進言。宮崎落城。(片倉代々記)
7/1 佐沼合戦。成実、佐沼城の西に布陣し、合戦に参加。
9/23 政宗、岩出山へ転封。
9月 秀吉、朝鮮出兵を布告。
10/3 成実の母・鏡清院没。墓は陽林寺。
秋以降 成実、角田へ転封。
この年 成実、片倉重綱の烏帽子親を勤める(片倉代々記)
1592(文禄1)
1/5 成実、朝鮮出兵のため、角田出立。
3/13 京都聚楽第屋敷着。(片倉代々記)
3/17 京都出立。
名護屋にて越年。
1593(文禄2)
2月 名護屋出立。
3/20 政宗、名護屋城出航(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
4/13 釜山上陸(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
4/18 釜山出立。(片倉代々記)
4/21 ウルサン着。(片倉代々記)戦闘に参加、城郭を普請。(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
5/2 政宗、梁山で謡曲集を筆写。(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
5/17 このころまでに金海着陣。(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
6/12 原田宗時→後藤信康の手紙(仙台市博物館蔵)
6/13 金海出立(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
6/14 金海-昌原間に野陣(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
6/19 宜寧着(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
6/20頃~28 晋州城を攻撃。(片倉代々記)
6/22~29 晋州城攻略に参加(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
7/中~9/上 倭城普請に参加(太田秀春「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」)
9/11 釜山出帆(片倉代々記)
9/18 名護屋に帰還。(片倉代々記)
閏9/11 備後井原に宿泊(片倉代々記)
閏9/25 政宗、伏見に屋敷を賜る。成実、伏見に住す。
1594(文禄3)
6/3 栽松院死去。
8/17 成実、高野山観音院にて栽松院の菩提を弔う。但し、自身は登山しなかったもよう。(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
12/24 丑刻、大地震(
宮城県災害年表
)
1595(文禄4)
5-6月頃 政宗、聚楽屋形を出立、岩出山へ下向。(片倉代々記)
6/4 伏見にて成実の妻・亘理氏没。墓は角田。
7/15 豊臣秀次自刃。
8/上旬 政宗大坂に到着。施薬院全宗の屋敷に入る。
8/24 石川義宗・成実ら、政宗の家臣19名秀吉に誓書を提出。
この年から翌年 政宗、領内検地。
この年 成実出奔(世臣家譜)。
1596(文禄5/慶長元)
6/27
正午より京都から堺にかけて降灰(義演准后日記)
6/29 京都の北西の空に彗星が出現し,以後2週間ほど見えていた
閏7/13 未明、慶長伏見地震
閏7/15 京都から堺にかけて降灰・火山毛。
1598(慶長2)
8/18 秀吉没。
この年? 成実出奔(治家記録)(東藩野乗)。
10月? 石川昭光、角田へ転封。
これより前 屋代景頼、角田接収。羽田右馬助ら抵抗し30人余討死。
1600(慶長5)
5/3 家康、政宗に上杉景勝討伐を内命。
6/14 政宗、帰国のため大坂出立、伏見へ入る(片倉代々記)
6/16 政宗、伏見出立。(片倉代々記)
7/12 政宗、中山道を経て北目城着。(片倉代々記)
7/21 政宗、北目城発(片倉代々記)
7/22 政宗、岩沼に逗留(片倉代々記)
7/23 政宗、岩沼出陣、四保(船岡)に宿陣(片倉代々記)
7/24 白石城攻撃。成実帰参。石川昭光の陣に属す(片倉代々記)。
7/25 白石城、石川昭光を通じて降伏(片倉代々記)
8/2 家康、下野小山よりひきかえす(片倉代々記)
8/14 政宗、白石城より北目城へ。白石は石川昭光に守らせる(片倉代々記)
この頃 成実、通称を兵部とする。
9/15 関が原。
9/16 最上義光、政宗に援軍を乞う(片倉代々記)
10/5 政宗、北目城より伊達表へ出陣。白石に宿す(片倉代々記)
10/6 政宗、白石出陣、国見山に本陣を備う。諸将、福島城を攻む。政宗、羽黒山麓に本陣を移動。成実、御山荒井に陣を立てる(片倉代々記)
10/7 梁川攻撃延期。政宗、国見山より北目へ帰陣(片倉代々記)
12/24 政宗、仙台城の縄張りを開始。
1601(慶長6)
1/11 仙台城普請開始。
3/12 政宗、成実・亘理重宗に旗本の
指揮を命ず
(治家記録)。
1602(慶長7)
12/31 成実、
亘理郡23邑611貫356文を賜う
。
この年 成実、通称を安房とする。
1603(慶長8)
2/12 江戸幕府開府。
1604(慶長9)
この年 信夫郡小倉より陽林寺を亘理に移し、雄山寺とする。(陽林寺は小倉に存続)
秋? 成実、二階堂氏と婚姻。
12/16
慶長大地震
。南海トラフの地震。
1605(慶長10)
3月 片倉景綱、白石入城。
4/16 秀忠、2代将軍となる。
12/20 政宗、領内荒地の検地を命ず。
1606(慶長11)
12/24 五郎八姫、松平忠輝に嫁す。成実、政宗名代として輿を将軍家に届ける。
この年 成実、専念寺を伊達郡より亘理に移す。
1607(慶長12)
1/5 政宗、屋代景頼を改易。
2/14 政宗、領内再検地を命ず。
1608(慶長13)
この年 信夫郡小倉より法道院を亘理に移す。
3/9 岩城政隆、伊達氏を賜う(片倉代々記)
11/23 仙台で大地震。津波(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1611(慶長16)
秋、諸国凶す(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
10/28
慶長三陸地震
。午前10時過、陸奥国地震後大津波。伊達領使者1783人。津波は岩沼付近に達す。(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1613(慶長18)
6/7 喝食丸(宗実)誕生。
9/15 支倉常長、月ノ浦出航。
1614(慶長19)
1/1 仙台城にて祝儀、一門・一家・一族の衆御礼御目見(治家記録)
1月 成実、伊具郡、江刺郡の一部等を加増さる。知行1026貫804文(治家記録)
1/24 忠宗、成実に知行拝領、献上物御礼について書状を遣わす(治家記録)
7/17 政宗、成実に帰国につき
書状
を遣わす(治家記録)
8/18 政宗、成実に
書状
を遣わす。高田城の普請終了の報告。(治家記録)
10/1 家康、大坂追討を命ず。
10/7 家康より大坂追討の書状到来、政宗、一門一家一族衆と談合(片倉代々記)(治家記録)
10/10 成実の子、小僧丸没。4歳。成実、大坂冬の陣のため、亘理出立(記念誌)。白石泊(治家記録)
10/15 下野国小山泊(治家記録)
10/16 政宗、江戸着(片倉代々記)(治家記録)
10/20 政宗、江戸発(片倉代々記)神奈川泊(治家記録)
10/21 神奈川逗留(治家記録)
10/22 藤沢へ移動(治家記録)
10/23 小田原泊(治家記録)
10/24 三島泊(治家記録)
10/25 神原泊(治家記録)
10/26 江尻泊(治家記録)
10/28 見付泊(治家記録)
10/29 御油着(治家記録)
11/1 熱田着(治家記録)
11/2 墨俣着(治家記録)
11/3 今州着(治家記録)
11/4 四十九着(治家記録)
11/5 大津着(治家記録)
11/9 政宗、大津逗留(片倉代々記)(治家記録)
11/10 政宗、秀忠に謁見のため伏見へ。後、家康に謁見のため京都へ(片倉代々記)(治家記録)
11/11 政宗、宇治に逗留(片倉代々記)(治家記録)
11/16 政宗、宇治から橋本へ陣を移す(片倉代々記)(治家記録)
11/17 政宗、平岡(枚岡)に野陣(片倉代々記)(治家記録)
11/18 政宗、矢尾(八尾)に宿陣(片倉代々記)(治家記録)
11/20 政宗、家康の命により木津今宮へ移動(片倉代々記)(治家記録)
11/29 政宗、仙波(船場)へ移動(片倉代々記)(治家記録)
12/13 政宗、成実へ仕寄の義について
書状
を遣わす。(治家記録)
12/21 大坂との講和なる(片倉代々記)(治家記録)
1615(元和1)
1/1 仙波陣所にて御祝儀(治家記録)
1/24 政宗、大坂から京都三条屋形へ到着(治家記録)
3/6 政宗、京都発(治家記録)
3/21 政宗、江戸着(治家記録)
4/6 家康、大坂再追討を布告。
4/9 政宗、江戸出立(治家記録)
この間 成実、夏の陣に出陣。
4/13 江尻着(治家記録)
4/15 掛川着(治家記録)
4/17 御油着(治家記録)
4/21 京都三条屋形着(治家記録)
4/28 京都発、井手着陣(治家記録)
4/30 井手発、木津着陣(治家記録)
5/3 木津発、奈良着陣(治家記録)
5/5 奈良発、河内国分着(治家記録)
5/6 道明寺の戦い(治家記録)
5/7 道明寺発、茶臼山・難波へ(治家記録)
5/8 大坂落城。(治家記録)
5/9 政宗、難波発、京都三条屋形へ(治家記録)
10/14 片倉景綱没。59歳。(治家記録)
この年 飢饉 人馬の餓死するもの多し(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1616(元和2)
4/17 家康没。75歳。(治家記録)
4/20 成実より政宗に進物を献ず。政宗、よって家康他界、日光建立について
書状
を遣わす(治家記録)
5/1 忠宗より成実へ公方江戸御着、政宗下国につき返書を賜う(治家記録)
5/21 忠宗へ成実より進物を献ず。よって御書を賜う(治家記録)
5月 成実、馬薬および馬医書を献ず。(世臣家譜)
7/19 忠宗より成実へ、上総介のことにつき
御返書
を賜う(治家記録)
7/26 忠宗より成実へ、松平忠輝改易について
御返書
を賜う(治家記録)
7/28 巳下刻、大地震。仙台城の石垣崩れる。大津波。(治家記録)(
宮城県災害年表
)
1617(元和3)
1/29 成実より忠宗へ、使者をもって去冬官位昇進の祝儀を献上す。よって御書を遣わす(治家記録)
4/10-4/11 大風雨。広瀬川洪水。(
宮城県災害年表
)
4/24 洪水(
宮城県災害年表
)
7/16 池田光政より成実に
書状
。
9月 成実、政宗の命を奉り、世子(忠宗)婚礼の事を預かる(世臣家譜)
9/13 忠宗・振姫婚姻。成実、振姫の輿を受ける(記念誌) 。成実、忠宗に従い、備前宰相輝政卿の第に詣づ。輝政卿、佩刀を賜う(世臣家譜)。
9月 政宗・忠宗、婚成をもって将軍家に謁す。成実これに従う。秀忠・家光に拝謁し、時服(あるいは小袖10領、羽織2領という)を賜う(世臣家譜)。
10/9 池田光政より成実に
書状
。
12/13 忠宗・振姫婚姻(治家記録) 成実、御貝桶役を務める(伊達便覧志)
12/18 成実・伊達定宗、公方・若君に御目見え(治家記録)
この年 凶作(
宮城県災害年表
)
1618(元和4)
6/4 政宗、石川昭光・成実へ茂庭綱元高野山入りについて
書状
を遣わす(治家記録)
6/22 政宗、成実へ進物を遣わす(治家記録)
6/29 成実、政宗に柚を献ず(治家記録)
7/7 政宗、成実へ
書状
を遣わす。(政宗文書)
8/19 成実、伊達三河、政宗に進物を献ず(治家記録)
8/26 政宗、石川昭光・成実へ狩の獲物を遣わす(治家記録)
9/8 成実、政宗に進物を献ず(治家記録)
9/17 成実、政宗に進物を献ず(治家記録)
9/18、政宗、成実・伊達左近・伊達安芸へ進物を遣わす(治家記録)
1619(元和5)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座伊達成実他(治家記録)
この頃 鳥屋崎浜に塩田を開く。(記念誌)
1620(元和6)
5/6 忠宗、成実へ普請見廻の書状を遣わす(治家記録)
5/17 普請に成実の名代が決定(治家記録)
5/21 政宗、成実へ普請のことにつき書状・進物を遣わす(治家記録)
5/25 江戸城石垣普請。政宗名代として成実、江戸へ出立。(治家記録)
6/2 この頃、成実江戸着(治家記録)
6/18 成実より公方普請場御出についての書状が政宗のもとに到来(治家記録)
8/13 成実へ普請のことについて書状を遣わす(治家記録)
8/26 支倉常長帰国(治家記録)
9/1 政宗、成実に普請について書状・進物を遣わす(治家記録)
9/20 政宗、成実に普請について書状を遣わす(治家記録)
10月 石垣普請、早期成就。成実、秀忠に謁見し、時服を賜う(記念誌)。
10/23 二階堂氏没。雄山寺に葬る。
此の年 蔵王山噴火?(気象庁)
この年 政宗、柳生宗矩に七北田の銘茶を贈る(仙台事物起源考)
1621(元和7)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座石川宗昭ほか(治家記録)
1/23 仙台藩江戸上屋敷・本屋敷類焼(治家記録)。
2/13 政宗、書状をもって成実に銀拝領御礼のための江戸上府を命ず(治家記録)
12月 刈田嶽噴火震動。~寛永元年。(
宮城県災害年表
)
1622(元和8)
7/10 石川昭光没。73歳。
8/21 政宗、最上改易につき、城受取りを命ぜられる。成実・伊達安芸に名代を命ず(治家記録)
9/5 伊達勢、最上に打ち入り、城を受取る(治家記録)
1623(元和9)
1/1-1/3(新暦)刈田岳噴火(亘理町史)
4/16 刈田岳(蔵王山)噴火。(亘理町史)(気象庁~翌年11/15)(
宮城県災害年表
)
9/27 家光、3代将軍となる。
12/17 蔵王山鳴動。降灰。(
宮城県災害年表
)
1624(寛永1)
2/5(新暦)刈田岳噴火(亘理町史)
3/12 成実、政宗に鷹の雁一羽を献上(治家記録)
5/16 石川宗敬・伊達宗利とともに政宗の朝茶会に出席?(伊達政宗文書3749)
4-6月 降霜(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
7-8月 大風、旱魃。(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
10/5 刈田岳噴火。砂礫大石をとばす(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
この年 領内飢饉(治家記録)(
宮城県災害年表
)
1625(寛永2)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座石川宗昭ほか(治家記録)
2/6 成実、盛岡藩欠落者小北越前について奉行衆に
返書
(石母田家文書194)
8/27 政宗、成実へ、公方へ鶴献上のこと、常陸竜箇崎のことにつき書状を遣わす(治家記録)
10/11 政宗、成実へその家来鉄砲鍛錬につき仰せ遣わされる(治家記録)
この年 宗実元服。
此の年 蔵王山鳴動?(気象庁)
1626(寛永3)
4-8月 旱魃。(
宮城県災害年表
)
5/5 政宗、成実に上洛のこと、宗泰・宗高御目見のことにつき書状を遣わす(治家記録)
10/12 政宗、成実に京都の様子について返書を遣わす(治家記録)
此の年 蔵王山鳴動?(気象庁)
1627(寛永4)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座石川宗昭ほか(治家記録)
1月 大地震。磐城、刈田郡強く震う。(
宮城県災害年表
)
2/26 政宗、成実に会津仕置等につき書状を遣わす(治家記録)
5/16 石川宗敬・伊達宗利とともに政宗の朝茶会に出席?(伊達政宗文書3749)
8月 洪水(
宮城県災害年表
)
11/19 治部宗実、部屋住にて召使はる者どもの御掟、黒印をもって仰出さる(治家記録)
1628(寛永5)
5月 降雹凶作(
宮城県災害年表
)
7月 大暑。人多く死す(
宮城県災害年表
)
9/2 政宗、江戸より成実に老中井上正就の死について
書状
を遣わす(伊達政宗文書3048)
11/16 若林城完成(治家記録)
この年 成実、宇多郡10邑、200貫を加増。知行1226貫804文(治家記録)
1629(寛永6)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座石川宗昭ほか(治家記録)
2/11 政宗に鹿猟のため名振に呼ばれる(
伊達政宗文書3119
)
5/2 政宗、成実・石川宗敬に新築の座敷での朝茶に呼ぶ
書状
を出す(
伊達政宗文書3132
)
5/6 政宗、成実・石川宗敬に新築の座敷での朝茶を行う?(
伊達政宗文書3132
)
6-7月 暑烈疫病流行人死す(
宮城県災害年表
)
10/3 奉行衆より成実代へ阿武隈川ひらた舟に関する
書状
(
石母田家文書369
)
10/8 成実、政宗を訪問す(
伊達政宗文書補127
)
10/9 政宗、成実を茶に誘う(
伊達政宗文書補127
)
11/18 政宗、成実に茶入を遣わす(
伊達政宗文書補62
)
1630(寛永7)
5/16 隠居分として200貫文を加増(
伊達政宗文書3160
)
6-7月 疫病流行人多く死す(
宮城県災害年表
)
12/15 政宗、成実・伊達定宗と若林城西曲輪にて朝茶を行う?(伊達政宗文書3174)
此の年 蔵王山噴火(気象庁)
1631(寛永8)
1/1 仙台城にて祝儀。御礼一番座伊達成実ほか(治家記録)
4月 雪降り、麦腐る(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
閏10/14 政宗、成実に鶴の礼状を出し、11/10前後の成実江戸出立を指示する。(
伊達政宗文書3205
)
9/18 阿武隈川大洪水(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
この年 霖雨洪水のため凶作(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1632(寛永9)
1/24 秀忠没。54歳。(治家記録)
1/30 政宗・忠宗、成実に秀忠の死を報ず(治家記録) (
伊達政宗文書3216
)
1633(寛永10)
1/24 成実、軍役見積書を藩に提出。(治家記録)
6/13 宗実結婚(亘理城主系譜・伊達氏当家系譜)
6/23 洪水。幕府より忠宗に銀5000貫給う。(
宮城県災害年表
)
10/17 大地震 (
宮城県災害年表
)
1634(寛永11)
2/23 成実、若林屋敷新築に際し、政宗を饗応。夜、屋敷全焼。(治家記録・木村宇衛門覚書・政宗記)
2/24 政宗より火事見舞いの書状を給う(
伊達政宗文書3285
)
2/28 政宗・成実を饗応(治家記録) 奉行衆、火事についての定(
石母田家文書486
)
5-6月 旱魃(
宮城県災害年表
)
1635(寛永12)
3/20 成実、荒浜に川口神社を勧請・建立(
川口神社
)
この年 豊作(亘理町史)
1636(寛永13)
3/20 政宗、仙台出立。
5/24 政宗、江戸にて没。70歳。
6/23 政宗葬儀。
10月 仙台に大火(
宮城県災害年表
)
1637(寛永14)
6/26 大洪水。阿武隈川氾濫。不作・飢饉。(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
10/24 瑞宝殿落成。
1638(寛永15)
5月 洪水の見舞金拝領の御礼言上のため、江戸へ。江戸城内にて奥羽軍談を語る。(※仙台志料によると5/17)
春より飢饉(亘理町史)(
宮城県災害年表
)
1639(寛永16)
この年 豊作(亘理町史)
1640(寛永17)
この年 検地帳に茶畑(仙台事物起源考)
1641(寛永18)
この年 刈田岳噴火。大不作。旱魃(亘理町史)(気象庁)(
宮城県災害年表
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この年 成実、政宗の勘気を蒙った小姓・小荒井伊兵衛を預かる(延宝書上28-18)
1642(寛永19)
4/11 忠宗の参勤上府に際し、門出の饗応。以後、慣例となる。
この年 「成実記」を著す。
この年 疫病流行。飢饉(
宮城県災害年表
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1643(寛永20)
10/23 黒川仲庵、キリシタンのかどで斬首。
此の年 磐梯山鳴動?(気象庁)
1644(正保1)
この年 封内検地。知行2000貫。
1645(正保2)
4月 雪。麦不作(
宮城県災害年表
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1646(正保3)
2/9 成実隠居。
4/26 大地震。仙台城石垣崩落。(
宮城県災害年表
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5-6月 大雨・洪水(
宮城県災害年表
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6/4 成実没。79歳。
7/26 大洪水(
宮城県災害年表
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